シエスタを貪る

戯言垂れ流し放題

刹那を生きる

よく夫が、過去の私は『生き方が刹那的』と言っていた。

 

20歳そこそこの私は言わば超厨二病で、人生どん底に落ちた気になっていて、もう何も後悔する事は無いから今死んでも構わないとそう思っていたくらいだった。

今思えば何をそんなに悲観的に想っていたのか分からないけど、当時の私は暗い悲しい曲を聴いては、自分の立場に絶望して、夜のベランダで煙草をふかすような人間だったのだ。

夫と付き合うまでだから、そんな期間は2年〜3年あったかどうかだったのだけど、今思い起こしても当時の私は何だか毎日が特別で、とても長い年数をそうして過ごしていたように思う。

夫と付き合い始めた頃はいつも泣いていて、何かにつけて自分は不幸なのだと感じて涙を流した。

そんな私を、夫は優しく抱きしめ…る事も無く…

最初のうちこそ少しばかり気にしてくれたが、あまりにも私が泣くので途中から放置された。

それが私にはどうやら良かったらしい。

言わば私は構ってちゃんだったのだ。泣いて悲観すれば、夫が『可哀想なサメコ』として扱ってくれるのを、どこかで待っていた。

だけど、実際にはそんな事はなくて…ベッドで丸まって泣く私を他所にゲームをしていて、あまりに気にかけてもらえない私は流す涙も引っ込んで、ベッドから這い出し、ゲームをしている夫の隣に座ったところで、やっと『何をそんなに泣いているんね』と声を掛けてもらえるのだった(そして餌付けされて太った)

そんな風に切ない曲を聴いて、物想いに耽る暇も段々無くなっていった。当時の私は何かしら物語の影響を凄く受けていて、それはきっと高校生からで、違う意味で夢見る少女だった。

季節が変わり、その都度感じる風情に全て名前が付くような、そんな人生だった。

 

今は子どもも出来て、仕事も育児も家事も毎日こなすのが精一杯。そんな悲観してる暇も、物想いに耽る時間すら惜しい。何かに追われるように、毎日頭の中をフル回転にして過ごしている。多分、私の頭は考えていない時間がない。

 

夫からすれば『それは普通では…?』と言うのだが、多分私には普通ではない…いや、普通ではなかった。

 

20歳そこそこの、お金は無いけど時間はたんまりあるフリーターはベッドで寝て過ごす時間も多ければ、ボケーっと物想いに耽る時間も多かった。おかげで考えるものが無さすぎて、親には悪いけどもう今死んでも構わないだとか、悲観的な事だとか、そんな事を考えてしまっていたのだろう。(死ぬ事に関してはそんなネガティブな感情では無かった。ただただ生きててももう何も無いなんて、人生やりきった気になっていた)

それはそれでどうかとも思うが、今の多忙過ぎる私にはそんな時間が少し恋しい。

夜の静かさに耳を傾ける時間も、ひとり意味も無くつけているテレビを眺めている時間も無い。

時間さえあれば寝たい私から、時間さえあれば何かやりたいと思う私になった。子供を産んでからと言うもの、自分の時間…自分がやりたいだけ過ごしたいだけ自由に使えるは無くなった。その貴重な時間を、寝て過ごすかと毎回一瞬頭をよぎるのだが、何か普段出来ない事をして過ごそう!という方に全力を注がれる。半日与えられてもやり切れないくらいやりたい事がある。

もう本当…子どもがいない時はあんなに時間があったのに。私は何で昼まで寝ていて、何なら外出しようと重い腰を上げるのは夕方で、夜中まで遊び歩いて深夜やっとお風呂に入るような時間を過ごしていたのか。

後悔と同時に羨ましさと、そんな時間を存分に過ごしたからこそ、得られたものもあるような…無いような…

 

突然思い立って化粧をして、お気に入りの本を持ってカフェで珈琲と軽食、またはケーキを食べながら読書だなんて、今は本当夢物語だ。

 

あの時あの時間は本当に贅沢だった。

 

突然思い立って一人で出かける事なんて今は出来ない。出来るだけ早めに計画を立てて、夫に相談して娘を託さねばならない。

夫にとってはそんな苦では無いのだろうけど、何だか申し訳なくて。まだまだ子どもが赤子の時の方が、思い切りがあったかもしれない(当時私はノイローゼ気味だったから)

 

娘が小さい今、そんな時間に余裕がある過去を羨んでいるが、きっとこの先この時間を羨む日も来るのだろう。

若い頃には感じなかった、時間の短さを今は痛感している。日に日に、先が短くなっていくような気持ちになって焦るが、きっと10年後、20年後はまだあの頃は時間が沢山あったと思うのだろう。

 

30歳。超えてしまうと人生終わりのように感じていた若い頃。

 

今こそが人生最強と思っていたあの頃。

 

そんな呪いのようなモノから自分を解き放って、まだまだやれる事はあるはずと自分に言い聞かせて、焦らずに物事を見極めていきたいと思えるようになった…気がする。というか、思えるようになりたい。

 

何歳でも、最強なのだ。

 

今からでも遅く無い。

なんでも出来る。何でもやれる。

 

それは80歳になっても、90歳になっても変わらない。

 

そんな風に自信を持って動ける人生にしていきたい。

 

私の人生はまだまだこれからだ。

 

と、夜中に目覚めてツラツラ書き綴るのであった。